毎日、朝からポテトサラダだの鶏肉料理だの、お弁当にとたくさん作る(だって痛むのが心配だから、あんまり前日からの作り置きはしない)と、夕ご飯の用意は腰が重い。ただでさえ、レッスンが終わってからだし。あ、水曜日はカレーに決まってます。
今日もレッスンのあと、ぐだぐだしたかったのだが、ふと思い立って、えいっと茶碗蒸しを作った。かつおのだし汁に卵や酒や調味料。具はあり合わせで、エビと鶏肉、しいたけにユリ根(これが何故あるかというと、お正月に料理しようと買って、冷蔵庫の奥に転がっていた。やれやれ)、三つ葉の代わりのインゲン。ネットで入れるとおいしいと書いてあった餅も入れた。意外に短時間で蒸し上がり、大好評だった。ただ、うちの蒸し器に6個の茶碗蒸し用茶碗を入れるのは、ぎりぎりでたいへんだ。こういうのは、4人くらいがちょうどよくできているから。
茶碗蒸しって、作るのに覚悟がいる。というか、子どものピアノの練習みたいに取りかかるまでが億劫な料理で、十年ぶりくらいに作ったかも。でも、思いの外手軽だったので、また作ろうと思う。できたてをあっという間に食べてしまって、写真はありません。
モデムの故障で、インターネットが使えず、更新がずいぶん滞ってしまいました(いや、それでなくてもさぼり気味なんですが)。メールも取れず、とても不便をしました。やっと今夕復帰いたしましたので、できれば遡って少しずつ書きたいと思っています。
でも、明日から北海道。どうなることやら。
今年は汁ナシの「混ぜラーメン」なるものが出てきている。「人類は麺類」の我が家、早速スーパーで購入してきた。普通にハムや焼き豚を載せるのじゃ芸がないだろうと、挽肉を味噌味のそぼろにした。冷蔵庫に作り置きできるし。麺の上に、水菜、肉そぼろ、温泉卵(これも作り置き)を置き、ネギを散らしてたれをかける。

これが、大好評。今年の夏は、冷やし中華に加え、定番のメニューになりそうである。
土曜日から臨海学校に出かけていた末っ子が帰ってきた。金曜日の夜、あわてて自分で詰めた荷物がちゃんと揃っているか心配だったけれど、自分で詰めないとどこに何があるかわからないから本人に任せた。
帰ってきて見たら、体操服の上がない。「誰かが持って行っちゃったけど、きっと戻ってくるよ。」って、大きなゼッケンに名字をくっきり書いてあるから当たり前である(じゃあ、どうしてそれを持って行くのか?)。靴下も片っぽ足りない。「お母さん、旅行や臨海学校だからって、新しい靴下を入れるの、やめてよね!」と逆に怒られてしまった。自分で見慣れていないから、どれが自分のだかわからなくなるらしい。ちゃんと名前も書いておいたのに!
まあ、三泊四日元気に過ごせてなによりである。
最新のファッションを驚くべき廉価で提供するファストファッションがトレンドだそうで。廉価だけではなく、次から次へと最新流行のスタイルを供給するのだそうである。一万円以内でつま先から頭まで、バッグもカバーできるとかだそうで、なかなか便利な世の中になってきた。うちの娘も、安い服をどんどん買ってくる。去年着た服は、今年は着たくないんだそうな。
でも「安いからたくさん買える」というのはどうかなあ。当たり前だけど、人が一度に着られるのは一人分である。そんなにたくさんの服を持っていても。一着をそう何度も着られるわけではない。洗い替えがあれば、人は生きていける。
例えば、綿花を摘むアジアの子どもたちは(子どもだけど、学校へも通わず炎天下働いている)服を2,3着しか持っていないのが当たり前である。毎日洗えるわけでもなく、つんつるてんになるまで大切に着たおしている。そんな子どもたちが、「安くて便利」を支えているのである。よりどりみどりの安い服は、(不当に)安い労働力から生まれている場合も多々ある。
高校生の時、社会科で「製品の価値には、物質が使える時間の他に、社会的な(つまり流行の)価値がある。」みたいなことを習った。言葉は忘れちゃった。ず〜いぶん昔だから。でも、この状態は、今も変わらない。日本には「型落ち」っていう商品がある。使えるものが、流行じゃないから、と切り捨てられていく。
「安いから、1,2度着るだけでも元を取れるじゃん。」みたいな姿勢は、時として神をも畏れない不遜な態度ではないか?廉価の服は、かしこく無駄なく暮らすために利用したい。ファストファッションも、流行だからではなく、本当に自分が納得できて大切に着ようと思えるときに買いたいと思う。
今日は末っ子の学校公開日だった。午後から仕事のあるダンナは午前中に小学校へ行き、私はダンナと次男(やはり午後から部活)のご飯やら面倒をすませてから、図書室で1時から打ち合わせがあって出かけていった。
打ち合わせが長引いてしまったので、5時間目が始まった末っ子の教室に行ったら、保護者は誰もいなくて、私一人。歯の磨き方の授業だったし、みんな午前中に参観しちゃったのね。でも、教室に入ってにこにこ拝見していたら、末っ子がこそこそと「お母さん、お母さん」と呼びかけてくる。ひそひそ声で「歯ブラシ、忘れちゃったよ。」って、私はひえ〜ってひっくりかえりそうになった。残り時間20分。あわてて自転車で一番近い薬局に走り(近所のコンビニは廃業しちゃったので)歯ブラシを買って戻った。10分もかからなかったと思う。クラスメイトが歯を磨いたりゆすいだりしているどさくさに紛れ末っ子に歯ブラシを渡したら「もう、手遅れだよ。」ですって。先生にしかられたり、一人だけ遅れてもたもたしたり、私が教室に入っていける雰囲気じゃなくて、廊下で様子をうかがっていた。他のお母さんがいなかったのは、ラッキーだったのかアンラッキーだったのか。
というわけで、のんびり参観のつもりが、穴があったら入りたい、みたいな状況に。やれやれ。
図書館で借りて見た本に刺激され、こんなの作ってみました。

画像がぼけてわかりにくいけど、あらかじめ糸にビーズを通しておいて、レース編みするという手法で、これはチョーカーである。
楽しいなあ。忙しいときほど、こういうのが作りたくなる。この本は図書館でも予約有りですぐ返さなくてはならなかったので、思わず「ビーズ編みのエジング2」をネット購入してしまった。

ついでに、引っ張り出したビーズだけでも、簡単なチョーカーを作りました。
うちのごはんの原型は、やはり私の母の料理である。もちろん、結婚してから知ったもの、自分で試してみたものもあるが、食べるもの・食べないもののラインは、受け継いでいるなあと思う。ダンナの好みより、私の好みってわけ。
定番のレシピにも、おばばのものがあって、特徴的なのはニンジンを使うこと。ハンバーグには、すり下ろしたニンジンをたっぷり入れる。甘みが出るし、焼いても固くなりにくい。ご飯にかける肉のそぼろも、挽肉と一緒にニンジンのすり下ろしを炒める。砂糖と醤油で濃いめに味付けして、仕上げに卵を混ぜ入れてぼろぼろにする。
別に、私や妹がニンジンを食べない子どもだったわけでもないし、うちの子たちもどちらかというとニンジン好き。だから、ごまかして食べさせるのではなく、ただ栄養あるからね、という感じだろうか。ニンジン入りのハンバーグなんて、よそでは絶対食べないし、男の子たちは結婚したら食べることもなくなるだろうと思う。でも、うちにいる限りは、なんでもニンジン入りだからね。
ピアノの弦が切れてしまったので、調律師さんの携帯に電話をかけた。「今、空いてる?じゃあ、三十分後くらいに伺います。」とおっしゃって、張り替えにきてくださった。感謝!
学生のころから、月に1〜2本弦を切っていた。いつもすぐに駆けつけてくださる調律師は、今お世話になっている方のお父さんだった。もう亡くなったけれど。
弦楽器や管楽器の人は、ちょっとした楽器の不具合は自分で直したり調整したりできるけれど、ピアノは調律師さんに全面的にお任せである。ピアニストは、全くの能なし。信頼できる調律師さんは、かけがえのないパートナーである。これからもよろしくお願いします。
次男は、毎日通常の部活のあと、自主練習をして帰ってくる。学校を出るのが8時や9時。今日も9時過ぎに友だちと自転車で学校をあとにした。JRの駅までに、高速線の駅がある。そこを通り過ぎた辺りで、何やらロケに遭遇した。横目で見ながら通り過ぎようとしたが、誰かが「あれ、スザンヌじゃねえか?!」と叫んだ。みんな自転車を止めてよおく見た。確かにスザンヌ。わあわあ騒いだら、録画中でスタッフににらまれた。なので、おとなしくロケを鑑賞したらしい。高校生たちが騒いだにもかかわらず、録画撮りはやり直しなく一発で終わり、帰ろうとする次男たちに、スザンヌが「バイバイ!」とにっこり手を振ってくれたそうな。「金髪が、やべえ似合ってて、全然不自然じゃなかった。すっげえかわいかった!」と興奮気味。
「スザンヌに会った」というより「スザンヌを見た」だけだと思うが、「手を振ってくれたから、会ったって言ってもいいよな。」と鼻息は荒い。まあ、スザンヌさんから見ても、夜も遅いのに、大きな荷物を持ったいがぐり頭の高校生たち(学ラン)が、自転車を止めて黙ってじ〜っと見ていたら、いじらしいと思ったんじゃなかろうか?