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高校生妊婦の体育

 妊娠の女子生徒に体育実技要求、京都の府立高校という記事を読んで、複雑な気持ちになった。

 実は私の娘は普通の高校を3年生でドロップアウトして1年ふらふらバイトとかで過ごしたあと、やっぱり高校は卒業しないとなどと殊勝なことをのたまって、県立の定時制高校を受験した(定時制と言っても昼間に授業がある、ついでに通信制も併設)。
 運よく合格して(合格すると、2年生までの単位を認定してもらえるから)、1年間通えば晴れて高校卒業となる予定だった。

 ところが、夏頃、妊娠が発覚した(当時はまだ19歳である)。相手は「責任は取ります。本当にすみませんが、幸せにします。」と汗をかきかき挨拶にきた。娘は、後期に体育の授業を受けないと卒業できなかった。

 高校側は、体育の単位だけ通信に切り替えてレポート提出(この高校の定時制にはそういう制度があった)、スクーリング分の実技に参加したらよい、と言ってくださった。実技のスクーリングも、先生からは「卓球とか選択したらいいからね。後半のスクーリングは出席して見学したらOKです。」とのお話だった。ついでに「体育館での見学は寒いから、毛布とか用意してあげるから」というお言葉もいただいた。「こういう話は、この高校にはよくある話」と笑って話してくださった。
 お言葉に甘えて(11月の20歳の誕生日を待って入籍した)、娘は通えるところは高校に通い続け、2月にマゴを出産した。
 みなさまのご協力のおかげもあり、めでたく高校卒業に足りる単位を取得した娘は無事に卒業し、卒業式にも出席した。

 今回、「高校生で妊娠ってそもそも?」と、この女子高生を非難する発言も多々見られる。私も「学生の本分は」という気持ちは理解できなくもない。
 しかし、女性が恋をして子どもを産む年齢として、18歳が早すぎるとは思えない。古来、十代の結婚・出産は当たり前のことだった。もっと見聞を拡げて学問を究めたいとか、もう少しシゴトに専念したいと思う女子もいれば、早くから「好きな人の子どもを産んで育てたい」と思う人がいても、不思議はない。
 少子高齢化への対策としても、早めに恋愛して出産することは、国策として奨励すべきではないか。

 乱暴な言い方をすれば、「高校全入が幸せ」という前提でそれほど勉強が好きでなくても高校に入学し、違う生き方を望んでいる子どももけっこういるのではと思うのである。今回の女の子は、高校継続をあきらめ休学して出産し、現在もそのままだという。出産そのものを否定される家庭状況でないのだから、高校が何らかサポートして違うカタチも取れたのではと思う。
妊婦だとカミングアウトしている子どもに、マラソンしないと単位が無理、というのがちょっと意地悪な感じがするのは私だけ?
 ともあれ、その親子がちゃんと生きていけますように!

 
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採れ採れのタケノコ

 日曜日になると、娘のお相手が早朝の山にタケノコを掘りにいく。そんでもって、45リットルのゴミ袋にたっぷり詰め込んで、届けてくれるのである。小さいのはかわいいものの、すっごくでっかく育ったのも含めて10個以上。娘のところにも同じくらいあるという。

 最初に持ってきてもらった日、日曜日なので米屋が休みで、米ぬかがない。1、2本なら米のとぎ汁でなんとかなるが、そんな量ではない。何件も探してやっと手に入れた米ぬかを使って、割と大きな圧力鍋で何度も茹でた。
 次の週も、掘ってきたよ、と届けてくれた。余分に買ってあった米ぬかで、またまたせっせと茹でた。

  KIMG0145.jpg

確かに美味しい。いろんな人に配って、10日、17日の分がやっとなくなりかけたら・・・


 ダンナが仕事先で、タケノコをいただいて帰ってきた。今度はちゃんと茹でてある大きいのを3本。おまけに山椒もついていた(実はうちにも山椒はあるのだが)。
 
 今年は、タケノコ三昧である。毎日スーパーで、トウが立っていそうなタケノコを一生懸命選んでいるおばちゃんを見かける。日本人のおばちゃんやおじちゃんは、春になると、すこしえぐみがあるけれど香ばしいタケノコを食べたいと思うものなのである。見かけると、うちに残ってるのをあげましょうか?という気持ちになる。そのくらいたくさん、その日穫れたてのタケノコをいただいた。まだたくさん残っている。贅沢な悩みである。

 ついでに言うと、20代の娘に大量のタケノコを料理させて、さらにまた掘ってくるとは、相当にタケノコ好きなヤツだなと思う。娘はたいして料理もできないと思うのだが、それなりにがんばって、全部茹でて料理したらしい。

 春のごちそうの話。

「死ね」という言葉

 保育園に入れない人が書き込んだブログで、社会がようようと動き出したようだ。紆余曲折はあるだろうが、動き出したのはいいことである。

 私は、働くお母さんのサボートは絶対に必要だと思うが、税金を職業婦人のために使うなら、専業主婦として少ない収入でも堅実に子育てしている人にも還元するべきだとも思う。北欧には、保育園の充実と同時に、専業主婦に補助金を支給している国もある。どちらか一方では、片手落ちである。

 子育てに手厚い国を作るのは最重要課題である。だって、子どもが育って働かなければ未来の税収はなくなってしまうのである。この場合の「子ども」というのは、健全に育って、自分を、家族を、守る気概のある人間である。
 以前、うちの子の中学校で「進路説明会」というのがあって、お母さんたちは、どのようにしたら自分の子どもを「いい高校」に入れることができるか、という話を想定していたと思う。が、ある先生は「進路指導というのは、どれだけ偏差値の高い高校に入学するということではありません。」と切り出した。「進路指導の最終目的は、おとなになって働いて、自分が生きていくに必要なものを稼いで暮らしていける人間を育てることです。」とおっしゃった。
 私一人かもしれないけれど、ちょっと、いや、すごく感動した。アタマがいいとか悪いとか、そういうことじゃなくて、人間として生きていくチカラと責任感を持っている人になってほしいよね。うちの子も、3人は成人して(一人はまだ大学生だけれど)、それなりに子育てしたり働いたりしている。この先も、自己責任でがんばっていってほしいと思う。

 っていうのは、実は相当脱線しちゃったんだけれど、「日本死ね!」というのは、やはりヘイトスピーチではないかと思う、というのが今回私の言いたかったことです。自分の不満を表す言葉として、簡単に強い印象を与えられるかもしれないけれど、この言葉を使うのはまずかったんじゃないかな?自分の子どもがいじめられたとき、「死ね!」となじられて、平気な親がいるかな?「死ね!」に値する存在なんてない。絶対に使ってはいけない言葉である。
 自分の言いたいことを言うための語彙とか表現とか、身につけておとなになったら、「死ね!」という言葉は使わなくても、伝えたいことを表せる。勉強も、やっぱり必要かな、とも思う。

 

ルッコラ

 これは、何でしょう?

KIMG0124.jpg

 冬を越したルッコラの花である。ず〜っとサラダなどで楽しんでいたが、どんどん増えて花が咲いた。元気に育って美味しくて、しかも可憐な花が咲くとは、優秀なやつである。

バスマット

 いらなくなったTシャツを細く切って、ただ細編みにして、ひたすら編んだらバスマットができた。

KIMG0119.jpg

 この場合の、「ひたすら」は編むほうじゃなく、細く切るほうである。切り目を入れて裂いてもよかったのだが、フライス生地(というのかな?つまり、Tシャツの生地)は、裂くと幅がうまく揃わないので、ハサミでちょきちょき切り続けたのである。やっとテープにした生地を細編みにするのは、けっこうあっという間。着なくなったTシャツ4枚を使った。
でも、足で踏んだ感じのいい、なかなかさわやかなバスマットができました。

3人家族

 まずは娘が嫁に行って、次男が大学の近くで一人暮らしを始め、ついに長男が勤務先の移転で一人暮らしを始めた。

 とうとう、残すところ末ッ子一人になってしまった。とはいえ、高校2年生。弁当を作って学校に追い出しているが、いつまで同居するのかわかったものではない。

 そもそも3人で暮らすのは、ものすごく静かである。わいわい主張し合う相手もいないし、末ッ子は毎日高校から帰ってきても9時過ぎまで練習。私は7時から9時までの間に帰ってそれから晩ご飯の用意。
 一番ヒマなのはダンナで、一人寂しく(?)みんなの手が空くまで飲んだくれながら待っている。ここで、彼が夕食を作るという選択肢は、あまりない。でも、私も3人分って、よくわからないんだよ〜。作り過ぎたり、足りなかったり、主婦初体験みたいに試行錯誤である。飲み屋のご飯はまあまあ得意だけれど、遅く帰ってからのんびり作っている暇もない。

 でも、末ッ子は生まれてこのかた、常に誰かのペースに合わせて暮らしてきた。末ッ子のために、という時間の使い方はしたことがないかも。なので、ほったらかしてゴメンなさい、残すところせいぜい仲よく暮らしましょう、とは思っているのだが、本人は「好きにさせてくれ」という気持ちのほうが強いらしく、私の働きかけはことごとく跳ね返られ、しょぼんとなっているのである。

 これが、親離れってことで、私には子離れが要求されているのかも。

アンドレ・モーロア 読心噐

 若い頃(大学生だったから、30年以上前)、フランス人のアンドレ・モーロアの「幸福論」とか「読心噐」とか、薦められて読みふけっていた。

 「読心噐」の詳細は忘れてしまったが、人の心が見える機械を発明した人がいて、相手が心の中で何を思っているか機械で読み取れるという話だった。
 にっこり笑って愛想のよい人が、心の中では「何だ、このやろー」と毒づいているとか、実は小狡いことを考えているとか、そういうのが全部見えてしまう。「見えてしまう」ことが必ずしも幸せではない、というような話だったと思う。
 
 好感度の高いタレントがミュージシャンと付き合って、それが不倫だったとか、ラインでのやり取りが漏れたとか、すさまじいバッシングで、芸能活動を休止するという話になっている。

 そもそも不倫は、我が国において犯罪ではない。せいぜい、善良な市民から見ると、婚姻というシステムを軽視し阻害する「やっかいな行為」という位置付けだと思われる。今までにも不倫が露呈した芸能人は多々あった。が、「何さ!」と誹られたとはいえ、今回ほどの大バッシングになったりはしなかった。

 加えて、二人の間の内密なラインのやり取りが白日の下にさらされて「何じゃ、こりゃ!」となるのはいかがなものか。これの真偽はともあれ、寝物語を引きずり出して誰が幸せになれるのだろう?誰かの心の中にある気持ちを知ることって、他人にとってそれほど必要なのか?また知ったからといって得する者がいるのだろうか?

 私の感覚からいうと、他人が見られたくないものをのぞき見るのは「はしたない」、自分に実害の及ぶことでもないのに叩きのめすのは「やり過ぎ」という気持ちなのである。
 日本人は、そんなにヒマなのかな?

 それにしても、何十年も前に、人の心の中をさらすことに警鐘を鳴らす小説を書いたモーロアに脱帽である。


食べられるものを捨てるということ

 廃棄処分の食品を横流しした業者が問題になっている。
 約束を守らないことは、すごく悪い。私の中でも、もちろんそれが第1である。しかし、この問題に関してはいろいろ考えてしまう。

 世界には、毎日飢餓で死んでいく人たちがたくさんいる。腐っていようが、食べられないものであろうが口にしたい、お腹が空いて死にそうだ、と苦しんでいる人がいる(段ボール中学生だって、そうだったのだ)。そうして、実際、お腹が空いたと思いながら、死んでいくのである。

 日本には消費期限というものがあって、「危ないかもしれない」ものを売ってはいけない、ということになってる。あくまでも「危ないかもしれない」のであって、「危ない」わけではない。同時に、工場の中で作られた1万個の中の、もしかしたら1個に何かの破片が1つ「紛れたかもしれない」ものも破棄される。残りの9999個は安全に食べられるはずのものである。

 でも、考えてみたい。私たちは、買ってきたものをすべてその瞬間に食べ尽くすような生活を送っているだろうか?多くの人たちは冷蔵庫を持っていて、食べきれないもの、あとで食べようと思っているものは保管する。そのあと食べるとき、生鮮食品なら鮮度や状態を確認するのが当たり前である。
 同時に、魚を焼いたり煮付けたりしたら、骨があっても気にせずに食べたりはしない。骨があったら出そうと気をつけながら食べるのがふつうである。
 加工食品だから、そのへんをメーカーにお任せというのは手抜きではないのか?

 しばらく前、どこかの大学の栄養科の先生が、学生に「五感を使って、食べられるか判断する」という授業をしていると、ニュースになった。消費期限を過ぎた食物を、確認しながら食べるというものだった。どこぞの学食で消費期限切れの食材を出したら問題かもしれないが、まだだいじょうぶかどうか自分で考えるという授業だったと思う。

 若い人たちに聞くと、消費期限ないしは賞味期限を1日でも過ぎたものを捨てる、という人も多い。
 ちなみに、私は絶対に捨てないね。納豆の期限なんて1週間くらい過ぎていても何ともない。豆腐だって、お肉だって、実際に見て判断する。我が家では、食べられか食べられないかは自分で判断して決めるもので、人から言われることではない。でも、今のところ、家族は誰も体調を崩したりはしていない。
 
 今回の横流しも、今のところ健康被害のニュースはない。

 私は嘘はいけないと思うけれど、命をいただいている食事なんだから、命を粗末にしてはいけないとも思うのである。食べたくても食べられない人たちに、失礼である。ついでに、食べ物になるために死んでいった生き物にも。

 廃棄するものを売ったからけしからん、だけではなく、食べられるものを廃棄する日本のありように目を向けたい。

 「これは少々古いけれど、食べられるはずです」とか、「もしかしたら異物が混入しているかもしれないけれど、除去すれば食べられます」と明言して売って、ちゃんと食べるっていう選択肢もあるんじゃないかな。
 食べられるものを捨てない。これも、今から大切なことだと思う。
 

ネコの病気

 冬休みに入った末ッ子が、「ネコのお尻の毛が抜けて、腫れている感じ。」と言い出した。「なんか、ひどい病気だとたいへんだ。」と、獣医学部の次男に患部の写真を送った。「肛門嚢炎じゃないか?」と返事が来たと言う。
 「たぶんそうかもしれないけど、とにかく病院に連れて行く。」と、末ッ子は自分が登校で使っているバッグにネコを詰め込んで、動物病院に出かけた。

 結論から言うと、やはり「肛門嚢炎」だったそうで、膿を出し、注射を打って、薬をいただいて帰ってきた。末ッ子は、次男の仕込みよく、あごを持って口を開かせ首尾よく錠剤を与えて、かいがいしく看病(?)している。

 動物病院の先生からは、「今度膿がたまったら、自分で出してやれ、と兄ちゃんに言っておけ。」とのお言葉をいただいたそうな。

 そうなんである。次男は自分の(写真を見ただけの)見立てが当たっていてたいそう喜んだらしいが、見立てても直してくれないなら、役に立ったとは言えない。動物病院の診察料は保険がないだけに、人間が風邪を引いて病院に行くよりもはるかにお高い。せめて、自分ちのネコくらい(しかも、血統書はおろか、野良を拾ってきた雑種)、早く自分で直してもらいたいものである。と、授業料をひねり出している親は思うのであった。

へこたれない心

 今日は、おばばとうちの次男の誕生日である。次男はとりあえず自分で楽しんでいるようで、私はマゴを連れて、ダンナとおばばんちへ行った。
 それなりに楽しみつつ過ごしていたが、たまたまテレビでラグビーの試合を見ることに。若い頃ラグビーをたしなんだおじじも、日本代表の試合を応援することになった。

 いやあ,ニュースでも取り上げられて話題になっているが、本当に感動的な試合だった。ダイジェストはこちら

 何度リードされても、焦ることなく、へこたれることなく、あくまで勝利目指して突撃し続ける日本代表にしびれました。外国での試合にもかかわらず、日本を応援する声援が高くなって、スタジアムを揺るがせる。最後の最後、確実な同点のチャンスに、あえて逆転を狙ってスクラムを選び、粘りに粘ってトライを勝ち取った。
 がんばり抜いた日本代表に、拍手!24年ぶりのワールドカップでの勝利だった。
 本当に、あきらめない、へこたれない選手のがんばりに涙まじりの応援をしたのだった。

 ところで、昨年秋、1年生なのに高校の部活を辞めた末っ子。自分の練習のためだったが、本人なりには葛藤もあった。全国大会で演奏もしたかっただろうし、部活を全うして最後の定演で名前を呼ばれたかっただろうとも思う。
 ところが辞めたとたん、他の部活の勧誘にあった。とくに熱心だったのがラグビー部。楽器を演奏しているだけなのに、やたらガタイがよくて、成績は音楽と体育だけが○という末っ子、体育の授業にラグビーもあり、体格と体幹で妙に活躍したりしてしまった。ラグビー部のメンバーに囲まれての勧誘もあったみたいだが、そこはぐっと押さえて、今は帰宅部に徹している。
 寸暇を惜しんで練習してもらいたいものだが、それは今ひとつな感じ。だが、まあ、予選を突破したコンクールの本選にむけて練習中。後悔のないようがんばってもらいたいものです。へこたれずにね。

 
プロフィール

しおん

  • Author:しおん
  • 4人の子どものうち、1人は結婚し孫もできました。まだまだ子育ては続きますが、日々格闘しながら、ピアノと向かう毎日。大好きな本のこと、ベランダの緑、趣味の手芸もご報告していこうと思っています。
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