スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

太っ腹な町会長

 夏休みに入って、近所の公園でラジオ体操が行われている。あれって、その地域の各町会が運営する行事なので、町会によって実施日も違う。この地区は今月21日(夏休み最初の日)から31日まで。日曜日はお休みである。

 中学生の末っ子は、何が何でも皆勤賞をもらうぞ、みたいな勢いはないが、ちょくちょく出かけて行く。たいていはその時間には起きているし、公園に行くのが好きなんだと思う。

 そのラジオ体操で、盆踊りに「今年も太鼓を叩きにきてよ。」と町会のおじさんに頼まれた。うちの町会の太鼓は、主に小学生が叩く。子どもが叩けば親も来るから賑々しくなるし、まあ近辺では人の集まる盆踊りだと思う。
 でも、さすがに子どもが減ってきて、ついでに町会活動に参加する割合も減り、少々頼りなくなってきたらしい。普通OBは飛び入り的に参加するだけだったのだが、しっかり頼まれ、今日はちゃんと練習に出かけた。

 練習で盆踊りで羽織る法被をもらって帰ってきたのだが、黒くてかっこいい新品の法被と帯だった。
 末っ子曰く、「今年、町会長さんが替わって、その人が宝くじを当てたから、新しい法被と太鼓を買ってくれたんだって!」とのこと。成人用、女子用、子供用、といくら数が減ったとはいえ、全部新調して、おまけに太鼓も買ってくれるとは、いくら当たったのだろうか?太っ腹だなあ。
 でも、まだまだ子どもの言うことだから、お祭りの当日、誰かに聞いてみよう。

 楽しい盆踊りになりますように。
スポンサーサイト

町の写真館

 子どもが生まれてから何かのたびに、近所の写真館で家族写真を撮った。お宮参り、七五三、子どもが4人もいると、そこそこの回数である。生活もギリギリだったとき、正直言って撮影費はきつかったけれど、きちんとした仕上がりの写真は、我が家では『特別な思い出』だった。

 私の仕事用の写真も、子どもたちの証明写真も、いつもお願いしていた。証明写真も少し高価だけれど本当にきれいに出来上がるので、みんな信頼して撮ってもらっていた。

 末っ子に証明写真が必要になって、二人で出かけた。さすがに暑いので、制服のシャツとブレザーは持って行った。水曜日が定休日と知っていたので、わざわざそれを避けて行ったのに、入口のシャッターが下りていた。
 あれ?と思ったら、プレートが置いてあって、何と、6月末で店じまいしたと書かれていた。

  びっくりしましたよ。

 以前、読売新聞の夕刊で『家族の写真』という特集を組んだとき、大々的に載っていた店である。

 もう少し早く末っ子の証明写真を撮りに行けばよかった(部活が忙しくて時間がないんだもの)。
 娘夫婦も、ダンナが仕事から戻ったら家族写真を撮ってもらおうか、と話していた。
 今年の春に私がお願いしたプロフィール用写真が最後になってしまいました。

 そういえば、いつも写真を現像してもらったり(そういう作業が必要な時代があったね。)、写真付き年賀状を作ってもらっていたカメラ屋さんも、ずいぶん前に廃業した。あとは、お弁当屋さんになってしまった。

 駅前のカメラ屋さんは店舗を分割して、焼き小龍包の店やらに貸して、本当にちっぽけな間口の焼き増し専門店みたいになってしまった。今回の証明写真は、しかたなく、そこの入口で撮ってもらうことになった。

 町のカメラ屋さん、写真館は次々と姿を消している。

 たぶん、デジカメが発達したり、子どもの記念写真はスタジオ○○○みたいなところで、たくさんの中から選んだ衣装を着て、メイクもしてもらって撮るのが一般的になったりして、昔ながらの写真館には厳しい経営状態だったのだと思う。
  
 家族の写真というのは特別なものである。私のような年配の者にとっては、非現実的な衣装を来て(白雪姫とかね)誰の何だかわからないような写真を撮るより、本人と家族の真っ正直な写真のほうが大切な思い出になると思う。
 でも、そういうのは時代遅れになってしまったのかも。
 
 すごくがっかりしたし、これから何かと困るなあとも思う。
 撮っていただいたプロフィール用写真は「こんなの、年齢詐称じゃん」と言われるまで、使い続けるでしょう。

ごめんなさい

 大津市で自殺した中2の男の子に関するニュースには、胸を締め付けられる。

 暴行を受けて、お金を奪われて、部屋を荒らされて、行き場もなすすべもなくなって「もう死ぬよ」と言うしかなかった少年の胸中を想像しちゃいけない、あまりに哀しすぎて、涙が止まらないから。でも、本当は、死んじゃいけなかった。絶対に死ぬべきじゃなかった。死ぬことで訴えるのは間違いだった。それでも、死ぬしかなかったのもわかるから、やりきれない。

 特にうちの末っ子も同じ中2だし、身につまされる。

 小学校時代、校庭で遊んでいたサッカーで、一人の男の子が娘をターゲットと呼んで、友だちをそそのかして体を狙ってボールを当て続け、顔面にぶつけ、手を強打して突き指して娘はとうとう泣いてしまった。「ターゲット、ターゲット、」と繰り返し娘にボールを狙い続けたそうである(校庭で遊んでいた他の子にも確認した)。一緒にいた次男が「てめえら、何やってるんだよ!」と、とうとうぶち切れ、「あ、そろそろ塾の時間だから。」とあわてて帰って行った男の子の親は、1年経っても「たまたま蹴ったボールが当たって娘が泣いたのに、おおごとになって。」とまわりに言いふらしていた。

 「ボールをぶつけられて、顔もぶつけられて、でも、だいじょうぶ、だいじょうぶ、って笑ってがんばってる姉ちゃんに、それでも狙ってボールを蹴ってくるヤツが許せなかった。そんなの、見たくないんだよ。」と、帰ってきた次男は泣きじゃくった。彼がそういうふうに泣いたのは、あとにも先にもその時だけである。

 その相手の男の子が、教室でも娘が掃除のときに動かした彼の机を「ばいきんがついた!」とベランダに出したり、「くさい」「うざい」と言い続けていたことは、たぶん親は知らないんだろう(そういうこと一つ一つを、保護者に報告する担任でもなかった。もしかして気付いていなかった?)。
 彼は中学受験して名門中学に合格したから、今ごろ有名大学に通っているんだろうな。
 ついでに言うと、娘の担任は、娘の上履きに画鋲が入っていたり砂まみれになっていたり、「あんたは20m後ろを歩きなさい!」と命令した同級生のことも知らないと思う。

 今回、「うちの子は仲良くプロレスごっこをしていただけなのに」と保護者説明会でまくしたてたという母親、言い訳が全く同じなので、思わず家族で笑ってしまった。

 私が言いたいのは、いけないことをしてしまった子どもを持つ親は、まず最初にごめんなさい。」と子どもと一緒に謝るべきだということである。自分の子どもが失敗してしまっているんだから(失敗は誰にでもある)、言い訳はせずに親が最初に謝るべきである。インターネットでは、今回の大津の加害者の親が自分の子どもをかばって開き直る状況とかが、人権無視で書かれている。このようなバッシングは明らかに間違った報復である。
 が、子どもの名前や写真、親の職業、担任の先生の写真や出生までばらまかれてしまったのは、潔く謝らなかったからとも言える。世の中には、けつまくって「ごめんなさい。」と言わなければならないときがあるのである。
 悪いことをした子どもをきちんと叱らず、「うちの子は悪くない」とかばうことが、結局は子どもも親も追いつめてしまう。
 謝らなくて墓穴を掘っているのは、中学校も教育委員会も同様である。

 殴ることも、お金をとることも、「いじめ」というフィルターをかけなければ犯罪である。学校も教育委員会も、保身に必死になって肝心なその点を看過している。自殺と関係あるかないかはわからないが、犯罪が存在したのは間違いない。とりあえず、その犯罪を見過ごさずに立証してほしい。
 悪いことをしたら相応の罰を受ける、それが安心できる社会である、ということを証明することが、渦中の中学校に通う子どもたちにも、唯一の納得のいく結論なんじゃないだろうか。

 とにかく、失敗しちゃったときには「ごめんなさい」って言おうよ。

また行っちゃいました。

 5月の京都があまりにも楽しかったので、たまたま予定のない週末を利用して、またまた京都に行った。いや、ダンナは土曜日の午前中茨城で仕事だったが、帰ってくるのを待って二人で出かけた。
 夕方京都に着いてホテルにチェックインし、祇園に出た。川辺はすっかり夏模様。

    120707_1925~02

 翌日は朝食を早めにとって、まずは二条城、そのあと広隆寺を拝観してから、嵐山電鉄に乗って嵐山に行った。竹林の中の小径を通って、いくつかの古寺を回った。

120708_1402~01

 最後に訪れた清涼時では、この時期公開していないはずの釈迦如来像を、団体客と一緒に拝観させていただけた。「どうぞどうぞ、もっと近くまで行って見てください。」とお釈迦様の目の前まで進んで見せていただいた。ラッキー。

      120708_1450~01
 あちらこちらで、半夏生の花(?)盛り。涼しげな姿に癒されたが、この植物はドクダミの仲間なんだそうだ。

 心配していた雨も降らず、暑すぎもせず、誰の心がけか、たいへん楽しく歩き回れた。
 リフレッシュは必要と言い訳しながら、家事をさぼっての短い旅行を堪能しました。

テレビに関する節電

 大飯原発は再稼働したが、夏の節電について、テレビでは毎日のように報道されている。

 いつも思うのだが、どこの誰それがこのように節電しています、というニュースはしょっちゅう流れているが、「私たちはこのように節電しています。」というテレビ局の説明を聞いたことがない。ただのニュースでも、いろんなところが間接照明、飾りのライト、もろもろの電気を使うディスプレイが以前と変わらず映し出されている。けっこう豪華である。ニュースを流すためにこれほどのこだわりが必要だろうか。テレビ局で、アナウンサーがスーツを着てニュースを読み上げるとき、スタジオはどれだけの空調を使っているのだろうか。録画した映像を流している間、スタジオは照明を落としたりするのだろうか?

 去年の夏、15%の節電目標が掲げられた。我が家でも、照明をLEDに換えたり、使わないコンセントを抜いたり、せっかく付け替えたばかりのウォシュレットも電源を切ったままになった。多いときでは30%を超えて節電しましたよ(お財布に優しいのは助かった)。テレビ局も、「節電のために空調を○○度に設定しています。」というだけでなく、実際に何%節電していたのか、今年はどんな予定でいるのか、自らの態度を説明するべきではないか。
 少なくとも、原発の再開にNoと言っているのであれば。

 しばらく前から、「テレビをつけていることで消費する電力は、エアコンをつけているときよりも大きい。放送を減らせば(昼間の放送を休止すれば)、最大の電力消費になる時間帯に大幅な節電になる。」という意見が出されている。いろんな試算があるが、テレビを見ているとエアコンを使うときの1.3~1.7倍の電力が必要なんだそうである。野村総合研究所とかいうところが発表したのが端緒となっているらしい。
 思うに、よしんばエアコンよりテレビのほうが消費電力が少ないとしても、テレビを見なくても死なないが、本当に熱暑になったら命に関わるので、エアコンを優先してテレビはがまんすればいいと思うのは自明である。番組があると見てしまうなら、放送をやめればいいのである。
 これが世間に伝わらないのは、放送に関わる節電はテレビ局にとって都合が悪いからであろう。小さな町工場がちまちまと身を削るような節電を工夫しているのはニュースになるが、じゃあテレビ局は何をするか、というのは語られない。これって、ずるではないか?

 電気を作ることに限界があるなら、使わないしかない。が、産業、病院、使わざるを得ない場所がたくさんある。
 1日で最大に使う時間は限られている。その時間は本当に必要なところで電気を使えばいい。そこを避ければ、思いっきりテレビを見るのも自由である。

 本当に脱原発を考えるのであれば、代わりのエネルギーの確保ができるまで、使わない方法を考えるしかない。誰が本気でそれを考えるのか、電力会社や行政だけの問題ではない気がするのだが。
プロフィール

しおん

  • Author:しおん
  • 4人の子どものうち、1人は結婚し孫もできました。まだまだ子育ては続きますが、日々格闘しながら、ピアノと向かう毎日。大好きな本のこと、ベランダの緑、趣味の手芸もご報告していこうと思っています。
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。