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明日、ママがいない

 赤ちゃんポストからクレームが来たり、スポンサーが降りたり、話題たっぷりのドラマだが、うちでは観ている。

 そもそもドラマなので、本当にこのような児童養護施設があるかどうかは問題ではない。「ドクターX」でも「医龍」でも、こんな医者や医学界が本当にあると思って見ている人がいるだろうか?「はなし半分」以前に「作り話」と思って見るのではないだろうか。

 それより、「あした、ままがいない」って「あしだ、まながいない。」に似てるねっていう話で、うちでは盛り上がっている。ついでに、あの所長、口はむちゃくちゃ悪いが、けっこう子どもの未来とか幸せとか考えてない?っていうことになっている。例えば就職活動で、どんな人間が社員として求められているかという擦り合わせは、誰だってするのではないだろうか?

 小公女だって、オリバーツイストだって、孤児(?)が虐げられる物語で、いやいや安達祐実の「家なき子」だって子どもがひどい目に会う話だったが、だから許せないという話にはならない。親がいないから、片親だから、貧乏だから、犯罪者の子どもだからなどハンディキャップを持って、そのせいでいじめられたり、いわれもない罪を着せられる話は、他にもごまんとある。
 うちでは、逆境にへこたれず、仲間とか友だちの絆を大切にたくましく生きる子どもの話として楽しませてもらっている。けっこうユーモアもあるし。

 たかがドラマに、どうしてそんなに目くじら立てるのか、わからない。「ポスト」がダメなら、村上龍の「コインロッカーベイビーズ」はどうなのよ、と聞きたい。呼び名じゃなければOKなの?
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ペンケース

 うちの男どもの中で、次男が一番しゃれ男である。いや、その趣味がいいか悪いかはわからないが、こだわりがある。持っている服の数は少ないが、けっこうお金も賭けたりする(私から見ればってことですけど)。あとの息子二人は、とりあえずそこにあるものなら何でも着る。私の買って来たものにも、ほとんど文句を言わない。ダンナは・・・謎である。

 例えば、ボトムだって、次男はこれ!と決めたものを買って、ちゃんと裾上げしてもらってくる。お気に入りを買うから、ちょこっとでもしみが付いたりほころんだりすると大騒ぎである。
 長男は、たまに自分で買っても「裾上げしてもらって、取りに行くのが面倒。お金もかかるし」とそのまま持ち帰る。ボタンが取れても、ポケットが破れても、全然平気。

 末っ子は中坊なので、毎日帰宅後は中学校のジャージで過ごすし、休みの日は1日中寝間着代わりのスウェットとTシャツだから、服はあんまり必要ない。ついでに、兄たちが着なくなった服も降ってくるから、本当に手間のかからないやつである。

 で、長男が買って来て私が裾上げしたGパンの端切れで、ペンケースを作った。次男が今使っているのが(私のを勝手に持って行ったのだが)少し小さいと言うので、サイズを大きめに。

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 真ん中の王冠の刺しゅうが気に入らないらしいが、とりあえず文句言わずに使っています。やれやれ。

ローズの小さな図書館

 今回、作者キンバリー・ウィリス・ホルトが女性だということを初めて知った。最初に「ザッカリー・ビーヴァーが町にきた日」を読んで感動したのは、もうずいぶん前のことである。見せ物として連れて来られ興業者に置き去りにされた少年ザッカリーと、町に住む少年トビーたちとの交流の話だった。次に読んだ「ルイジアナの青い空」は、「ザッカリー・・・」に比べるとずいぶん読みやすかったけれど、知的障害者の両親を持つ少女の葛藤を描いていた。重苦しいテーマだが、明るい気持ちになれる小説だった。キンバリー・ウィリス・ホルトは、とても好きな作家である。

 そして、ひさしぶりにホルトの新作「ローズの小さな図書館」を発見。
 父親が失踪して、母親と妹と弟と祖父の元に帰る14歳のローズ。学校も続けられずに、17歳と偽って運転免許を取り、移動図書館の運転手の仕事に就く。いろいろ考えながら手渡した本を喜んでもらえる嬉しさ。この小説は、このローズ、ローズの子ども、ローズの孫、ローズのひ孫の4世代の物語である。それぞれの時代の小説が登場して、知っている本だとなかなか楽しい気持ち。ローズの孫アナベスがマッカラーズの「心は孤独な狩人」を読むところで(1973年)、おおっ!となってしまった。私もまた、1970年代に「心は孤独な狩人」を読みましたよ。ひ孫のカイルもいい味を出している。

 やはり、キンバリー・ウィリス・ホルト、大好きな作家である。

      Part of Me

 

急逝

 昨年4月に、このブログで転任なさった司書教諭の先生のことを書いた。本当にいい先生で、国語教育、特に読み書きに関して毎年のように研究発表もなさっていたし、だからこそ、図書室のありように関しても子どもの気持ちも考えてすごく熱心に取り組んでくださっていた。図書ボランティアの活動についても言いたいことは限りなくあったと思うが、百歩譲って常にねぎらってくださっていた。

 転任校でも司書教諭として図書室の活性化にがんばるとおっしゃっていらしたが、昨日、もと小学校のPTA総務の方からメールが届いた。先生が、急病で5日にお亡くなりになったのだそうだ。信じられない気持ち。
 
 今日は、遅くまでのレッスンもなかったので、お通夜に伺った。本当に大勢の人が最後のご挨拶にみえていた。ニキビの高校男子も制服姿の中学生も友だちと一緒に来ていたし、子どもとお母さんという方たちもたくさんいた。それだけ慕われていたということだと思う。

 先生は私よりもお若くて40代、それでも20歳を過ぎたお子さんが二人いらした。ご家庭のことはあまり語らない先生だったが、受験が終わったときなどはいろいろ話したりなさっていた。
 集まった方たちのお話だと、2学期の最後まで学校にいらしていたし、教え子への年賀状も届いていたのだそうだ。
 
 祭壇のピンクの花に囲まれて、先生はこっそりお好きだとおっしゃっていた「いたずらまじょ子」のようにおひめさまみたいだった。
 ご冥福をお祈りします。


 


 
 

鉢合わせ

 毎年、年末になってからあたふたと作って書く年賀状だが、今年も例年通りになってしまった。毎年、年賀状を書き終わったとき、来年こそさっさとすませるぞ、と決心するのに。

 今年も、クリスマス会とか仕事が片付いてからやっとこさ郵便局に行って、「普通の年賀状を180枚ください。」と言ったら、「普通のは、もう1枚も残っていません。」と、にべにもない返事。えええっ、最近年賀状を書く人が減ってるって言ってるのにどうして?と焦り、コンビニやスーパーで探すしかないかなあと思いながら、郵便局のとなりのスーパーに行った。
 すると、スーパーの入り口に机を構えて郵便局のお兄さんが座っているではないか。机の上には各種年賀状が並んでいる。「まだ、全種類あります。」ということで、無事に180枚ゲットした。いいです、いいですと遠慮するのに、いろいろとオマケもくださった。何でも、我が市のハズレのほうの郵便局で、まだ余っているのを行商に来ていたそうで。
 同じ郵便局でも、営業はいろいろ複雑なのね。

 で、慌てて印刷して書き始めた年賀状だが、まずは遠方から。親戚・先生を最優先で書き、友人、昔の教え子と続く。そこまでは、とりあえず年内に出すことができた。ちょこちょこの掃除やら正月の準備をしながらだから、思うようにははかどらない。

 ここから先、当たり前だけれど、毎年ピアノの生徒さんから年賀状が来る。毎年必ず書いてくれる生徒もわかっているのだが、基本的には、私は今教えている生徒さんにはこちらから書かない。もちろん、年賀状をくれた子には必ず返事を書く。
 だって、考えてみて。自分が先生に書いていないとき(もしくは、子どもに先生宛の年賀状を書かせていないとき)、先生のほうから年賀状が届いたら、普通は焦りませんか?「出していないのに、先生からもらってしまって。」と慌てて返事を書いたり(書かせたり?)、「書くつもり(書かせるつもり)じゃなかったのに。」と思うかもしれない。けっこう迷惑になっちゃったりするんじゃないかな。
 だから、お正月ののんびり気分に水をささないためにも、私から生徒には年賀状を書かないことにしている。生徒さんの年賀状は、本当に楽しいし、うれしいものだけれど、これだけは決めているのである。
 ついでに、だからこそ、毎年だらだらといつまでも賀状の返事を書くことになるのである。やれやれ。

 で、今日のタイトルの「鉢合わせ」だが、今日になって届いた兄弟の年賀状に返事を書いた。近所の生徒さんだったので、今からポストに投函するよりはと思って、買い物ついでにその子のマンションに寄り郵便受けに入れようとした。したらば、蓋を持ち上げて入れようとした瞬間、ガタンと音がして、取り出すほうの戸が開いた。向こうには、(たぶん背伸びして)郵便受けを覗き込んでいる弟くんの顔が。
 蓋を閉めて黙ってそそくさと帰ろうかと思ったのだが、大のおとながそれもなあ、と思い直し、「○○君、年賀状ありがとう。今年もよろしくね。」と声をかけてから蓋を閉めて帰った。郵便を見に来るなんて1日に1回のことだろうに、何と間の悪いことであろうか。でも、考えようによっては、あれがお母さんやお父さんだったらもっと間が悪かったから、まあ一番おチビさんでよかったのかも。

雑煮

 あけましておめでとうございます。

 格別何をするわけでもないのに、年が明けてしまった。年賀状も8割くらいしか書けなかったし、掃除も台所が丸残しで。でも、とりあえず、大晦日に五色なますと栗きんとん(芋を漉す手はたくさんあるから)とローストビーフは作り、今朝起きて、ささっと雑煮を仕立てた。
 子どもたちは1年に一度だけ、高価なかまぼこと伊達巻きを思う存分食べる。ダンナはちょこっとだけ数の子も。

 雑煮は○○地方のとか、家伝のとかではなく、いい加減である。カツオにちょこっと昆布も加えた出汁で、京ニンジン、大根、レンコン、ごぼう、タケノコ、鶏肉を一人一切れ程度ずつさっと煮たもの。醤油ベースの味で、三つ葉を載せる。
 でも、我が家には、汁の中にはいっている餅がきらいな輩がいるので、その者たちは餅と雑煮を別々に食べる。私は雑煮が大好きだけれど。

 ところで、TVのCMで「お母さん、まだ出汁を取っているの?」というくだりがある。何度見ても、少々腹が立つ。「まだ出汁を取っている」とは、何ごとか?出汁を取って、何が悪い?
 違うでしょ。出汁を取るのが本来で、それが時間や手間の点で難しいから粉末だしの素を使うのである。如何にだしの素が進化しても、だしの素が本来の出汁を上回ったりはしないのである。あのCMは、だしの素の分をわきまえない不遜なCMだと思っているのは、私だけ?
 かくいう私も、カツオを削ったり、昆布を酒で拭いたりとか、面倒なことは一切しない。が、カツオ出汁はいつも作り置きがあって、子どもが冷凍うどんを食べるときなんかも活躍する。それほどの手間でもないし、おいしくいただいています。
プロフィール

しおん

  • Author:しおん
  • 4人の子どものうち、1人は結婚し孫もできました。まだまだ子育ては続きますが、日々格闘しながら、ピアノと向かう毎日。大好きな本のこと、ベランダの緑、趣味の手芸もご報告していこうと思っています。
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