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音楽に順位をつけること

 末っ子の中学校最後の合唱コンクールがやっと終わり、いよいよ受験も真剣な感じになってきた(いや、親の感じ、もとい希望だけれど)。

 毎年思うのだが、合唱コンクールの伴奏を引き受ける子、もちろん本当にピアノが上手な子もいるけれど、ぎりぎりでやっとこさっとこという子もいる。そもそも、あれだけの数の音をきちんと弾ける子ばかりではないだろう。それでも、クラスの中で必ず伴奏者を立てて何とかするというシステム、かなり無理がある気がする。

 私は、小さい生徒さんにも、楽譜に書いてあることはできる限り守って弾くようにと言っている。当たり前である。音の場所だけでなく、スラーのかかりかた、書かれている強弱、速度記号。全部まとめて、この曲を書いた人がそう弾いてほしいと思ったことだからね、と指導している。最初から楽譜を深く読み取ることはできなくても、少しずつ、自分の力で楽譜に書かれていること、その先の作曲者の想いを理解できるようにと願っている。
 でも、合唱コンクールの伴奏では、そこまで弾ける子のほうがまれである。そもそも書かれているリズムだってあやしい子もいる。クラスの代表として伴奏を弾く限り、できる限り「正しく」弾くべきだと思うが(全部の音を弾くことができなくても、想いを大切にはしてほしい)、そこまで言うと誰も弾けないのか、ナンなのか。無理くりクラスで伴奏者を立てるきまりは無謀ではないか。

 そして、そのクラスごとの合唱を学校内の審査員が評価するというシステム。審査員は音楽の先生以外は専門ではない人たちである。当然、楽譜と照らし合わせて、何ができて何ができなかったかはわからない。評価の基準は「何となくかっこよくて、がんばった感じ。」だけである。

 たとえば、数学のテストの採点を考えてほしい。数学の先生じゃない人が採点することになって、「答えは2546だけど、2545って書いてある。おしいねえ、とっても近いから1点マイナスで9点」とか、、証明問題の答を見て「ずいぶんがんばってきれいに書けたねえ。10点のところ9点。」とか、そういうのはあり得ないでしょ。国語の漢字のテストだって、ハネとかハライとか書き順だって、間違っていたらカタチが似ていても正解にはならない。

 が、音楽はそれでよし、よくがんばりました、という評価がつくらしい。しかも、専門外の人が評価するのも全くOKだと思われている。そうか、音楽はその程度の飾りなのか。
 しかし、それなら、何のために順位をつけるのか。座興ですか?

 長男のときから、毎年毎年12年。ギモンだらけの合唱コンクールが終わってほっとしたのは、実は私なのかもしれない(毎年家に帰ってから、がんばったのにだとか、評価がヘンとか、もめまくるから)。
 いや、伴奏を引き受けた生徒のお世話は、まだまだ続くだろうけれど。
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しおん

  • Author:しおん
  • 4人の子どものうち、1人は結婚し孫もできました。まだまだ子育ては続きますが、日々格闘しながら、ピアノと向かう毎日。大好きな本のこと、ベランダの緑、趣味の手芸もご報告していこうと思っています。
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